2012/2/1 水曜日

あらたにす

Filed under: よもやま,広報 — admin @ 12:50:34

朝日、日経、読売の3紙が共同で運営していた「あらたにす」というサイトがもうすぐ閉鎖されます。スタートしたときから、あの程度のコンテンツでいつまで続くものやらと思っていましたので、意外感はまったくありませんが、私はこのサイトの隠れ愛読者でありました。
楽しみに読んでいたのは、「新聞案内人」というコラムです。評論家や学者やジャーナリストが毎日交代で、新聞に関わるテーマで執筆していました。執筆者の中で、とくに新聞記者OBの方々が書かれたコラムが圧倒的に面白かったのです。彼らは現在の新聞報道の問題点をいろいろと指摘し、後輩記者たちを叱咤激励する文章をここに書き続けていました。
お名前を挙げるならば、栗田亘さん(元朝日新聞)、松本仁一さん(元朝日新聞)、水木楊さん(本名:市岡揚一郎、元日経新聞)、池内正人さん(元日経新聞)、西島雄造さん(元読売新聞)、上村武志さん(元読売新聞)といった方々です(見事に各社2名ずつになっていることに、いま気がつきました)。
これらOB記者たちのコラムを読むことで、新聞の読み方や新聞記者のあり方、また、いまの新聞の問題点等々に関して、多くの示唆を得ることができました。また、さすがに文章がうまい。おいしい料理を食べているような気分で読むことができました。
OBだから書けること、というのがあるでしょう。一方で、日本の新聞をよりよくするために現役時代にどれだけ努力したのか、という疑問も当然浮かんできます。しかし、これだけの方々ですから、それなりに努力をし、それでも大きな流れには抗うことができなかったのだ、と好意的に解釈しておきたいと思います。
これが読めなくなることはとても残念です。このようなコラムを掲載するサイトがどこかに、あらたに、できないものでしょうか。〈kimi〉

2012/1/23 月曜日

把瑠都の広報戦略

Filed under: よもやま,広報,広報ど真ん中 — admin @ 11:28:16

大相撲初場所で、エストニア出身の把瑠都が優勝しました。把瑠都の相撲内容について、一部の新聞が強い批判記事を書いていましたが、何年間も日本人力士の優勝がないことへのいらだちが書かせてうるようにも思えました。
それはともかくとして、これから把瑠都の人気は急上昇するのではないか、と予測しています。 もちろん強くなれば力士の人気は上がるものですが、これまで圧倒的な強さで土俵を席巻してきたモンゴル人ではなく、ヨーロッパ人力士の優勝であることの新鮮さがもう一つ挙げられるでしょう。
彼の言動は寡黙をよしとする伝統的な相撲社会のそれではなく、開けっぴろげです。それに対して批判的な日本人も少なくないのでしょうが、彼の欧米的な価値観は抑えようにも抑えられないように見受けられます。観客の声援に手を挙げて応えていたのもその一例です。これなど、若い日本人には少しも違和感を与えないはずです。
もう一つ、私が注目したのは、千秋楽での奥さんのエレナさんの和服姿です。広報的に見ればこれはかなりのクリーンヒットです。あれだけでフアンを増やしたに違いありません。また、テレビで見る限り、彼女はかなり古き日本女性のたしなみを勉強しているように見えました。日本語もある程度はできるようです。これらはすべて把瑠都の人気を高め、日本人に評価される方向に寄与するものと思われます。
これらの広報戦略を裏で演出している人いるとすれば、大したスゴ腕です。把瑠都夫妻が自分たちで考えたとすれば、彼らはかなり賢いと言えるでしょう。〈kimi〉

2012/1/1 日曜日

謹んで新年のごあいさつを申し上げます。

Filed under: よもやま — admin @ 0:01:04

今年はよい一年でありますように。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2011/12/12 月曜日

CCをつけない人

Filed under: 未分類 — admin @ 13:03:41

電子メールが普及し始めてからすでに四半世紀は経っています。パソコンが苦手という中高年の方々でも、仕事をする以上はメールくらいは使えなければお話にならないというのが現在の状況です。
極めて日常的な通信手段となったメールですが、少々気になることがあります。それは、CCをつけない人がいる、それも少なからずおられるという事実です。

私が初めて「CC」の存在を知ったのは、外資系企業に就職したときでした。PCのない時代ですから、ビジネス文書は薄手の用紙に手書きかタイピングで作成されました。なぜ薄手かと言えば、Carbon Copyをとるためです。そして、社内連絡には必ず
CC : Mr. A. Yamamoto, Mr. T. Wright
などと、自分の直属上司と相手の直属上司へCCをつけることが求められました。コピーを回すのは、その人にも読んでもらいたい、あるいは読んでもらわなければならないからです。CCを受け取った人に意見があれば、その返信もまた同様にコピーが回されます。情報共有のためのすぐれた方法で、これが米国流です。メールのCCは、この米国流を踏襲しています。

当時の、いやいまでも多くの日本企業は稟議というシステムを使っています。これはコピーを配布するのではなく、電子化されていても基本は回覧です。あらかじめ会議で決定したり、根回しで了解されたことを記録として残すことが主目的で、稟議書の回覧は形式的なものになりがちです。稟議書に意見を付けられたり差し戻されたりすると、起案者にとっては減点対象の大事件になってしまいます。通常の事務連絡も原則は回覧で、ハンコがべたべた押されて戻って来ます。

そのような日本流ビジネス文書の伝統に親しんでいれば致し方ないとも言えるのですが、こちらからCCをつけてメールを送信したのに、その返信にCCをつけない人が少なくありません。「全員に返信」をクリックしていないのです。これは中高年に限りません。返信にCCを付けないということは、意図的にCCの対象者に返信を読ませないということです。そのような自覚もなく、単に「返信」ボタンを押しているだけ、というのはいささか困ったことです。〈kimi〉

2011/12/7 水曜日

広報セクションの人材

Filed under: 広報,広報ど真ん中 — admin @ 15:16:55

先週の金曜日は、広報セミナーでかつて教えた受講者のみなさんが10名ほど集まって、楽しい懇親会を催しました。
広報のセミナーを受講する方の多くは企業の現役広報パーソンです。ところがその後3~4年の間に他の部署に転出してしまう人が少なくありません。当日集まった人たちにも、いまは他の仕事に就いている人の方が多くなってきました。

広報の組織や人材の問題を考えるとき、以下の3つの要素に留意すべきでないかと考えています。

1)広報活動には継続性が必要であること
2)広報は専門性が高い業務であること
3)社員に広報業務を経験させることは人材教育として有意義であること

その企業の広報に関するポリシーが一貫していることで継続性は保たれますが、実際には広報セクションのリーダー(責任者)の考え方に大きく左右されます。担当役員などが短期間で交代しても、内部にポリシーが保持されていれば問題はありません。しかし、なかなかそうは行きません。広報のポリシーがコロコロ変わるようでは、長期的な目標に向かって広報活動を展開することは困難です。
また広報活動には人脈が大切です。人脈というのは極めて属人的で、後任に引き継ぐことは非常に難しい。紹介を受けたとしても、そこから新しく人間関係を作りあげなければ機能しません。これすなわちコストでもあります。
「広報の専門性」を認識しない経営者も少なくありませんが、それは暗黙知が多いからではないかと思います。マニュアル化し難い種々のスキルを必要とするのが広報活動というものです。そのように考えて行くと、一定期間広報セクションに在籍している専門人材が必要だということが理解されるでしょう。
一方、経営人材養成のキャリアパスの中で、一度でも広報セクションを経験することは非常に有用であると考えられます。企業を取り巻く社会の考え方や動きを学ぶには、広報はうってつけの仕事です。その意味では、人材ローテーションの中に広報セクションを組み込むことが日本の企業にはもっとあってしかるべきです。
比較的長期に在籍する専門的な社員と短期間にローテートする社員の組み合わせ、これがが広報セクションには必要なのではないかと考えられます。〈kimi〉

2011/12/1 木曜日

自爆

Filed under: よもやま,広報,広報ど真ん中 — admin @ 13:43:12

申し訳ないことながら(謝る必要もありませんが)私は軽度の阪神ファンです。「軽度」という意味は、めったに球場へ足を運ばないということであり、甲子園にも行ったことがありません。ただ、試合翌日のスポーツ欄ではタイガースの試合経過を真っ先にチェックしますし、シーズン中は全試合をテレビで見られるようにスカパーと契約しております。
さて、シーズンオフにプロ野球の話を持ち出したのは、例の讀賣ジャイアンツ騒動が起こったからです。
日曜日にテレビの報道バラエティを見ていたら、卵焼き屋の息子タレントが口を極めてクビになった元GMを批判していました。そうなのかな、とも思いましたが、新聞やテレビの情報しか知らない私には判断する手がかりがありません。またどちらが正しいとか間違っているとかいうような問題でもなさそうです。
しかしながら、世の多くのサラリーマンは元GMの方にある種のシンパシーを感じているのではないか、と推測します。
何年か会社勤めをすると、ほぼ100%の確率で自分の利益しか考えない経営者や“しょうもない”上司と巡り合います。自分の考えを通したい、でも通らない。自分の意見を言いたい、でも言えない。このような葛藤と戦いながら、気がつけば定年となっている。そのような勤め人たちには、元GMが自分の姿の写し絵のように見えるだろうと想像しております。
企業は民主的な組織ではありません。ではどんな組織なのか。その明確な定義は聞いたことがありませんが、社内では何事も多数決で決まることはなく、たいてい職階上位の人に決定権があります。そんな組織なのに、法律上取締役会は多数決が原則となっていて、なんとなく民主主義風な仕組みがあるために、勤め人たちはついつい企業の意思決定に対して幻想を抱いてしまいます。
社会の視点と企業の視点の交点で仕事をしている広報担当者のみなさんは、とくに強い葛藤を抱えているはずです。トップに直言したい、という思いを何年も心の底に抑えつけていて、ついに爆発させてしまった人も少なくありません。その多くは単なる自爆で終わったはずです。私には、そのような一途な広報担当者の姿と元GMの姿もまた重なって見えて仕方がないのです。〈kimi〉

2011/11/16 水曜日

非連動

Filed under: よもやま,広報 — Kimi @ 12:50:39

昨年の6月から、このココノッツブログをFacebookに連動させてきました。そうしておけば、あえてFacebookの方に書き込みをしなくても、このブログを自動的に転送してくれます。便利だと考えました。
Facebookって、気楽にどんどん書き込んでおられる方も大勢いらっしゃいますが、私には結構難く思えるのです。
ブログは不特定多数に読まれることが前提です。それはそれで書きようがある。しかしFacebookは一応「お友達」とだけつながっていることになっている。ブログとは異なります。異なっていなければかえっておかしい。ところが「お友達」にもいろいろな方がおられます。仕事上でお知り合いになった方もいれば、クラスメートもいる。昔の部下もいます。これらの異なった属性を持つ方々を読み手と想定するとこれは書きづらい、と私は感じます。
そんなわけで便宜的にブログとFacebook連動させてきたのですが、先日来、
「11月22日をもって、外部サイトやブログからFacebookノートにコンテンツを自動的にインポートする機能の提供を停止します」
という告知がFacebook上に表示されています。もうブログとの連動はおしまいです。となるとFacebookにもたまには何か書き込まなければなりません。さてさてどうしたものか・・・少々困惑しております。〈kimi〉

2011/11/10 木曜日

リッチについて

Filed under: よもやま,広報 — Kimi @ 16:50:22

俳優、タレント、作家、スポーツ選手、ギョーカイ人、ニューリッチ…最近はセレブリティなんて呼ぶのでしょうか、そういう人たちがテレビや雑誌などで紹介している飲食店は、一定の地域に偏っていると思いませんか。統計をとったわけではありませんが、東京の麻布、六本木、広尾、恵比寿、代官山、青山などが圧倒的に多いでしょう。
私、東京生まれにもかかわらず、これまでそれらの地域にほとんど縁がありませんでした。代官山など、たまに行くと迷子になってしまいます。そんなわけで、グルメ雑誌においしそうな店が掲載されていても、所在地を確めては、縁がないなあとため息をついております。もちろんお値段の面からもご縁がないことが多いのですが。
そのような街々には、たぶんセレブたちのお住まいや所属事務所があるのでしょう。飲食店を開店しようとする人たちも、どうせなら北千住より(北千住にとくに恨みはありません)、パブリシティ効果のあるセレブ街の方が、と考えるのでしょう。その結果、特定の地域に集中してしまうという理屈なのだろうと推測します。

弊社は創業以来、麹町・半蔵門界隈に居座っています。近所にご同業も何社かあるものの、とくに集積しているというほどではありませんし、お客様のオフィスに近いわけでもありませんが、交通の便がほどほどよくて、おいしいランチのとれる店もほどほどある。しかも停電もない、液状化もない、マクドナルドもない。住み慣れるとそれなりに居心地のよい地域なのです。そんなわけで、ココノッツ創業4年目にして2度目の移転先も半蔵門といたしました。11月14日より新しいオフィスで業務を開始する予定です。〈kimi〉

2011/10/27 木曜日

ひきだしの中と発想の自由の関係

Filed under: よもやま,広報 — Kimi @ 11:46:58

最近、ノベルティのボールペンをいただくとうれしい半分、「困ったな」とも思ってしまいます。
私のデスクの薄いひきだしは、ボールペン、油性サインペン、水性サインペン、マーカー、マジック、シャープ、万年筆、筆ペン、鉛筆、赤青色鉛筆等々の筆記具に加えて、ハサミ、カッターナイフ、ペーパーナイフ、定規、三文判、テープのり、ホッチキス、ルーペ、ゼムクリップ、ダブルクリップなどの文房具ですでにいっぱい。ときどき開かなくなって、ガタガタやっています。ボールペンにしても普通の黒、ジェルインクの黒、消せる赤、シャープつきの4色等々が何本もあります。原稿などはパソコンで書いていますから、筆記具はこんなに必要ありません。デスク上にはお気に入りの「ジェットストリーム 4&1」が一本転がっていて、もっぱらこれを使っています。それならひきだしの中の大量の筆記具は一体なんなのだ、ということになります。
生産現場で生まれた5S運動というものがあります。ご存じのように、整理・整頓・清潔・清掃・躾の5つを徹底させて効率を上げようというカイゼン活動の一種です。これを事務部門にも応用しようとしている企業が少なくありません。そんな会社だったら、私のデスクのひきだしは即刻摘発され、厳しく躾けられてしまうことでしょう(おおコワ!)。
私、会社勤めをしている頃から、この5Sを企画部門に適応することには大反対で、その考えはいまも変わりません。定型的な事務処理を行っている職場では効率優先で構わないと思いますが、新しいアイデアを考えたり、他社がやっていない方法を試みたりするような創造的な仕事において、優先すべきは効率ではありません。
いつものボールペンにいつものCampus noteではなくて、万年筆にグラフ用紙で企画を練ってみたらイイコト思いついた…なんて、そんな単純なことではありませんが、そのような「遊び」が企画という仕事には欠かせません。環境の自由度は発想の自由度に影響するはずです。刑務所の中で創造的な仕事をするのは一部の特殊な才能に恵まれた人に限られます。筆記具は黒と赤のボールペンのみ、しかもひきだしの中にボールペンの絵が描いてあって、必ずその位置にしまうこと。そんなことをやっている企画部門では、会社の将来は危ういのではないか、と心配になってしまいます。
とは申しましても、私のひきだしの中は少々問題です。より深刻なのは、こんなに自由度が高いのに、このところちっとも自由度の高いアイデアを思いつかないことなのですが。〈kimi〉

2011/10/11 火曜日

想定外の事態

Filed under: よもやま — Kimi @ 16:08:50

半年ほど前から、おかしいな?とは思っていたのです。自宅のパソコンからときどきカチカチと時を刻むような音が聞こえてくるのです。内部を覗いてみましたが、異音の発生個所が特定できません。作動に不具合もなかったので、そのまま使い続けておりました。
先日、そのパソコンを隣の部屋へ移動する必要に迫られました。コロコロガタガタと敷居を2回跨ぎましたが(自分で組み立てたパソコンなので、大きな筐体の下にキャスターがついています)、何事もなく数日が過ぎ、再びもとの部屋へコロコロガタガタと移動させたら、ついにおかしくなってしまいました。カチカチが止まりません。ソフトがなかなか起ち上がりません。そしてOSが起動しなくなってしまいました。そうなってから、ようやく気がつきました。3台つないでいたうちの一番古いハードデスクがあやしい。それを切り離したら、パソコンは知らん顔してもとの状態に戻ったのでした。やれやれ一安心。外したハードディスクはあまり使っていなかったから問題なしと、その日は心安らかに寝についたのでありました。
翌朝、目覚めたとたんに気がつきました。そのディスクには「ピクチャ」を割り当てていたのだ、ということを。ここ数年に撮影した写真などの画像のすべてそこに収められていたのです。無精な私はバックアップをとっておりませんでした。これぞ想定外の事態です。
ネットで調べたら、ハードディスクの修復を専門業者に依頼すると5~20万円ほどもかかるらしい。これもまったくの想定外。
教訓:1.科学技術には全幅の信頼をおいてはなりません。常にリスクを考えるべきです。2.日々の労力と必要なコストを惜しむと、莫大なコスト負担が生じることになります。大は原発から小はパソコンまで、これらは共通しているようです。〈kimi〉

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