最近、新聞に関して耳にしたこと

古新聞
その1:あるCMプランナーの話。
新聞が読まれなくなったのは、テレビが地デジになったことが原因だというのです。デジタル放送用のテレビ受信機には番組表を表示する機能があるので、新聞のラテ欄が不要になったというわけです。そういうこともあるかもしれませが、いかにもCMプランナー的な発想だと、妙に感心してしまいました。

その2:WEBメディアの編集長から聞いた話。
通勤電車の中では、新聞の代わりにスマホでニュースを読む人が多くなりました。それで鉄道会社が喜んでいるというのです。読み終わった新聞が大量に捨てられていたので、その処理に苦慮していたのが、いまやすっかり少なくなったのだそうです。スマホとWEBメディアの普及が意外なところに影響しているんですね。

その3:どこかで耳にしたか、読んだかした話。
若い人で、新聞の宅配を契約している人はほとんどいなくなりました。そうすると、引っ越しのときに困るのだそうです。荷物の包装や緩衝材として、新聞紙はとても便利だったと改めて認識されているという話でした。
先日、自宅のパソコンが不調になりました。タワー型という、いまやヘビーゲーマーでなければ使わないような大きなマシンで、自分で組み立てたものです。修理に取りかかろうと物置を覗いたら、古新聞が1枚もありません。今朝、古紙回収に出したところだとのこと。フローリングの床を保護するのに、大きさといい、重ねたときの厚みといい、新聞紙が最適なのです。これにはほとほと困りました。そのうちコンビニで古新聞を売るようになるかもしれませんね。

マスクを愛する人たち

マスク
マスクの季節になりました。最近はマスクをオシャレとして積極的に使う女性もおられるとか。以前、このブログで、マスクから出ている顔の上部はみな美人であるなどと、セクハラと叱られそうなことを書きましたが、それにお気づきの女性が増えて来たということでしょうか。
しかし、いかなる観点からもオシャレとは関係なさそうな人たちがマスクを愛用しているのに気づきます。たとえば電車の運転手や車掌さん。空気が悪い地下鉄ならともかく、郊外を走る電車でもしばしば見かけます。カゼの予防でもあるのでしょうが、乗客からジロジロ見られるのがイヤだということもあるのではないか、と邪推しております。そう言えば、警官もマスクをしている人が多いようです。これはなぜだかよくわかりません。

箱の方をほしがる人

きれいな化粧箱に収まったクッキーや干菓子をいただいたら、多くの人はその中身のお菓子に興味を持ちます。ところが、中身はそっちのけで、きれいな箱の方に興味を持つ人もいます。「お菓子はいいから、箱は私にちょうだいね」という人がいますよね。
この比喩が適切だったかどうかわかりませんが、物事の本質にはさっぱり興味を持たずに、外形的な部分だけに関心を寄せる人が世の中には存在します。
もう一つたとえ話をするなら、テレビでドラマを一緒に見ていたとします。そのストーリー展開やそこに込められた問題提起などには一切関心を持たず、出演している俳優さんが誰の息子だとか、あのタレントと恋愛関係にあるとか、学校時代の友人のそのまた友人のクラスメートだとか、そんなことばかりに関心が向く人です。それもドラマの楽しみ方の一つだと言われれば、反論のしようもありませんけど。
どうしてそうなるのか理解できないのですが、物事の本質を考える方が難しく、頭を使います。周辺の諸事を漁る方がより簡単で楽なのだろうと思います。

頭が高い

日産に続いてスバルも資格のない検査員が完成検査をしていたことが明るみに出ました。
日産がこの件を初めて発表したのは広報部長さんで、事を重大視していないような態度だったとか容姿や服装がどうとかと批判されました。次に社長さんが記者の前に登場しましたが、日本企業の謝罪会見とはちょっと異なる雰囲気でした。着席せずに発表をしたのはともかくとして、要するに頭が高かった。それを“攻めの広報”だとネットメディアで好意的に論じる人がいましたが、どうなんでしょう。
ところが、記者会見の後も、資格のない人が検査を続けていたとのことで、また社長会見となり、出荷停止に至りました。このときの社長さんも少々頭が高かった。頭を下げられない人なのかもしれません。日産もいまや「外資系」で、欧米流の価値観の中で仕事をしていると、自然にそれに染まってしまうのでしょう。
一方でスバルの社長は憔悴した様子で記者会見に臨みました。日産と比べて悪性度が低いということもあるのでしょうが、メディアの論調がなんとなく同情的です。「スバルよオマエ(まで)もか」というのは好意の発露とも考えられます。企業や経営者が常日頃、メディアから好意的に見られていたことが推測されます。この違い、広報の基本のキを考えるよい教材です。
ちなみに私事ながら、筆者はリコールされるであろうスバル車のオーナーであります。

政党のTwitter

仕事柄、mixi、Facebook、Twitter、Instagramなど、SNSには初期からアクセスしてきましたが、Twitterは、電車が止まってしまったときの情報収集くらいしか有効活用していませんでした。しかし近頃はTwitterの勢いがよいとのこと。もう少し深く理解するため、アクセス頻度を増やそうと考えているときに、総選挙になりました。
そこで自由民主党、希望の党、立憲民主党をフォローしてみることにしました。
以前からTwitterを広報活動に活用したいという企業さんに申し上げてきたことは、「お知らせ」を投稿するのもいいけれど、それだけでは大した効果は望めないこと、もう一つは、実際に運用してつぶやく人材によって効果に大きな違いが出るということです。ITに詳しい方なら常識です。
で、3党なんですが、自民党は「お知らせ」の範囲をまったく出ていません。それに比して、立憲民主党はSNSの使い方をよく理解しています。自党を応援するツイートを細かくリツイートして、お礼をつぶやいたりフォローしたりしています。「中の人」と呼ばれる担当者の人柄もよく反映されています。上から目線にならないように注意深く言葉を選んでいます。誤りはすぐに訂正しています。短期間に多くのフォロワーを集めたことが納得できます。希望の党は2党の中間。ちょっと自民党寄りですかな。これって、政治スタンスと同じじゃないの?

政治の世界の自己実現

「自己実現」という言葉が日本で一般に使われるようになったのが、いつからなのかわかりませんが、初めて耳にしたときの違和感がいまだに残っています。
ああなりたい、こうしたい、こうでありたい、自分の思うようにしたい・・・哲学的な自我の問題はさておき、一般的にはこのような欲求を実現することを指して使われているようです。
それがいかに浅薄な解釈であっても、これから社会で活躍しようという若い人たちにとっては、決して悪いことではない。自己をアクセレレートする動機にもなるだろうと考えています。
しかし、政治の世界ではどうでしょう。よりよい社会をつくることが自分の目的で、その実現のために活動しているのだ、というのでしたら結構なんですが、周囲からセンセイ、センセイと呼ばれたいとか、大臣になりたいとか、権力を握りたいとか、そのような利己的な目的を実現しようとしているのだとしたら、自己実現ほど迷惑なことはないですね。
昨今のニュースを見ながら、あのときの違和感はここにつながっているのだ、と気がつきました。

福祉分野の勢いを見た

国際医療福祉展に行ってきました。昨年に続いて2回目です。2週間前に痛めたコシが完治していないので、ざっと一回りしただけですが、医療系の展示会が勢いをなくしつつあるのと対照的に、相変わらずの大盛会でした。出展社も入場者も比較にならないほどの規模です。
福祉・介護の分野はまだまだ発展途上、さまざまな工夫の余地が大きく、新製品や新サービスが開発される余地もまた大きいということなのでしょうか。
最近のとくに電動車いすの進歩がすごい。展示されていた最新の高機能車いすを見ていたら、モーターショーでニューモデルを見たときのワクワク感のようなものを思い出しました。操作レバー部も好みのものにカスタム化できたりするようです。昔のMT車のシフトレバーのようですね。こんなカッコいい車いすに乗りたいなあ、などと考えてしまいました。技術の進歩や活発な製品開発が、障害者の生活の質を高めると同時に、新たな趣味性をもつくりだしたりする。障害を持っていたって楽しい生活は送れるよという提案。いいですね。
会場を出たら、広い通路を2台の電動車いすがすごいスピードで駆け抜けて行きました。そういう時代になっているんですね。

意思決定の遅さ

日本企業の意志決定の遅さがしばしば批判されます。その要因はさまざまあろうかと思います。
私どもが経験するのは、提出した企画書なり見積なりに、いつまでたってもご返事がいただけないという極めて卑近な事例です。
ある企業さんでは、トップが漠然とした、あるいは抽象的な指示を出します。それを部下の担当者様が忖度して仕事を進めるというパターンです。担当者様からご相談を受けて、私どもではあれこれイマジネーションを巡らせて企画書を提出します。ところが、それをお忙しいトップに説明する機会がなかなか得られないようなのです。ここで何日も、ときには何ヶ月も経過します。
ようやくトップに企画書をお見せすると、なんとなく気に入らない風情を示されます。そこで、また私どものところに戻って来て、仕切り直しとなります。こんなことを何回も繰り返すことがあります。そのような案件で、成功した経験はありません。
要するに社内の意思疎通が悪いのです。それ以上に問題なのは、明確な意志や指示を出さないトップです。トップ自身も何かやらなければ、という思いだけで、何をやったらよいのかわからない、あるいは決断がつかないのでしょう。

わかっちゃいるんだけど・・・

世の中には「広報のご意見番」みたいな方々がおられて、その多くが大企業の広報部長経験者だったりするのですが、「あの謝罪会見は失敗だった」、「あの事件の広報対応には問題がある」と厳しいご批判を、広報関係者だけが読むマイナーなメディアなどに書いておられます。中には、メルマガでわざわざご意見を送ってくださる危機管理広報専門家と称する方もおられます。
なるほどなあ、といつも感心しつつ読ませていただいてはおりますが、こういう方々の多くは実際のコンサルなどの実務はしておられないようです。
実務ばかりしているこちらとしては、「あれほど口を酸っぱくして注意しておいたのに、本番で『やっちゃった』んだよなあ」と残念な思いをすることが少なくありません。わかっちゃいるんだけど、そうはならない事情もあるんだよ、とも申し上げたい。
若いころ、「評論家みたいなことを言ってるんじゃない」とよく上司から叱られましたけど、その気持がいまにしてわかります。

素人談議

政治に関してはまったくの素人だし、ましてや外交となるとさっぱりわかりません。でも、隣の国が物騒なものを開発して脅しをかけてくるとなると、いささか心配です。なにがなんでも戦争だけはごめんです。なんとか外交で解決できないかと思います。そんなアブナイ国には圧力をかけて「マイッタ!」と言わせるべし、というのがいまの「真っ当な」意見なのでしょうけれども、「わかった、わかった、そちらの言うことはなんでも聞いてやるから、核兵器とICBMだけは捨ててくれないか」と持ちかけるのはどうなんでしょうか。
そこで「はて?」と思ったのは、そちらの言うこと、つまり隣の国の真の要求は何かというのが、さっぱりわからないことです。米国の高官は、独裁体制を転覆させようとは考えていない、と明言しています。それでもミサイルは撃つし核実験もやるわけですから、ほかにもっと重要な要求があるのかもしれません。それは報道をみる限りよくわかりません。
「どんなに有利な条件を出されても核兵器とICBMだけは捨てられない」というのなら、何のためにそれらを開発しているのかわからないことになります。一番恐ろしいのは、核兵器とICBMそのものが目的化していることです。もしそうだとすると、話し合いの余地はなくなってしまいます。
以上、まったくの素人談議でありました。