年金事務所へ行ってきました

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老後に一定水準の生活をするには年金だけでは足りず2000万円の貯蓄が必要だ、それでは年金の意味がないじゃないかと大騒ぎになっている中、ちょっと用があって年金事務所へ行ってきました。
社会保険事務所と称していた昔から、この役所は国民を何時間も待たせて涼しい顔をしています。それでもいくらかは改善する気があるようで、電話による「予約相談」を受けつけています。そこで試してみましたら、つながらないつながらない。高齢化が進んでいる日本では年金の相談をしたい人は急増しているでしょうから、それもやむを得ないところがあります。
問題はようやくつながった電話に出てきた担当者です。どういう内容の相談かと根掘り葉掘り聞き出そうとします。個人情報ですから、できれば話したくありません。話したところでその人が相談に乗ってくれるわけではありません。しかたなく相談内容を告げると、そうですかあ?と不思議そうな声を出します。そんなに珍しい相談なのですか?と問うと、ムニャムニャ言っています。その挙げ句に予約がとれないのですから、少々腹が立ってきました。もちろん論理的ないし統計的に、これは年金機構のすべての担当者の問題ではありません。たまたま電話に出た人の問題です。
さて、こうなったら年金事務所へ行ってしまった方がよかろうと判断しました。
週日の午後です。駐車場はガラガラです。待合室もガラガラです。シメシメと受付へ行ったら、再び相談内容を聞かれた上に、「予約はしてないんですか?」と叱られてしまいました。「何度電話をしても予約がとれないんです」と告げると、困惑したような表情を浮かべ、できれば予約して出直してほしいと言うのです。「いや待たせていただきます」と毅然として(と見えたかどうかは別として)宣言しました。すると「2時間はお待ちになると思います」とのこと。これはもう受付を拒否しているようなものです。表示板を確認すると待っているのは3人にすぎません。「いえ、外出されておられる方もおられるので・・・」と、居座られては迷惑だといった口ぶりです。もちろんこれも論理的ないし統計的に、年金機構のすべての受付担当者の問題ではありません。たまたまこの受付の方の問題です。
その結果、1時間弱の待ち時間で「相談」に応じてもらえました。相談の担当者の方の対応はソフトで手際がよく、問題はめでたく解決いたしました。しつこいようですが、これは年金機構のすべての相談担当者に言えることではありません。たまたまこの人がよかったのだろうと思います。

うまいもんが食いたいなあ

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この3日ほど、東京ビッグサイトで仕事をしています。たまにはこういう異空間に身を置くのも悪くはありませんが、ちょっぴり悩ましいのは昼食です。構内にはいくつもレストランやカフェテリアがあります。コンビニもある。有名コーヒーチェーンもある。少し足を伸ばせば、周辺のオフィスビルに入っている飲食店も利用できます。にもかかわらず、昼時になると「さて、どこで何を食べようか」と悩むことになります。
理由は混むことと旨くないこと、この2点につきます。
このあたりの飲食店は、どこか「こんなもんでいいでしょ。それでも客は来るんだから」と考えているかのような、取り柄のない店ばかりです。新しく造成された土地柄だけに個人経営の店は見あたらず、ほとんどチェーン店ばかりであることがその一因でしょう。
しかたがないので、業績不振が取り沙汰されている家具店が入っているビルに出かけて、1日目は照り焼き丼、2日目はぶっかけうどんに鶏天、3日目はコクうま味噌らーめんということになりました。もちろんすべてチェーン店。もうあきました。

メディアの偏向

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市民間で意見が割れるような問題について、新聞やテレビなどのメディアがどちらに組みして報道しているか。なぜこちら側に同情的なのか。以前と異なる報道が出て来たり、新しい事実が次々に明らかになってもなかなか論調を変えないのはなぜなのか。と思うと、口を拭って沈黙しつづけることもある。それはなぜなのか。
政治に関してはむしろ単純です。近頃は大手メディアの旗幟が鮮明になっていますから、ある新聞は大きく報道しある新聞は黙殺していても、はは~んと推測できる。こんな報道姿勢をとるだろうなあと読む前に予想がつくほどになっています。考えてみればつまらない話です。新聞が読まれなくなった要因の一つでしょう。
そんなとき、よい本が出版されました。小島正美著「メディア・バイアスの正体を明かす」(エネルギーフォーラム新書)
小島さんは昨年まで毎日新聞で編集委員を務めておられた医療や食品問題を専門とするジャーナリストです。ここには右や左の政治のことは書いてありません。子宮頸がんワクチンや遺伝子組換え食品などを例に、なぜ新聞がこのように書くのか、このように書かないのかを極めてクリアカットに説明しています。新聞社を退職されたので自由に書けたという面もあるのでしょうが、すべての新聞記者OBがこのように書けるわけでもありません。報道の内側にいて、「これはおかしいじゃないか」という問題意識を常々持ち続けておられたからこそ書けたのだと推測します。広報を仕事をしている人にも、目を開かせてくれる好著です。

敬語と方言

報道特集3
長い公定休日でした。その間、メディアを通じてこれでもかこれでもかと敬語を聞かされて少々辟易しました。国語学の定義は存じませんが、敬語というのは言葉の装飾の一種だろうと思います。装飾過多は何事によらずうんざりするものです。
そんな中で面白かったのは5月4日のTBS報道特集。大正天皇の女官、椿局であった人が語ったテープを発見したという報道でした。大正天皇がとても優秀だったという話は初めて聞きましたが、それよりもこのテープが、方言を研究していた学者が録音したものであるということに興味を引かれました。敬語だけで成り立っているような、しかも「何々であらっしゃる」といった特殊な敬語を用いる御所言葉を「方言」と捉える視点がとても新鮮に思えたのでした。

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190503-00000059-jnn-soci

一年前のその日

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まったくの偶然ですが、ノートルダム大聖堂を見学に行ったのは、火災発生のちょうど一年前に当たる2018年4月15日、日曜日の朝でした。聖堂の中に入るとオルガンの深い音色とテノールの美しい歌声が聞こえてきました。ミサというものを見たのは、実はこれが初めてでした。その一年後に火事になるなどとは思いもせず、その賛美歌にしばし聞き惚れていました。写真を撮ってはいけないのかな、とは思ったものの異教徒の図々しさで何枚か静かにシャッターを切りました。これがその一枚。写真のタイムスタンプでは午前9時30分。
多くのフランス人が感じたであろう喪失感にはほど遠いのでしょうが、一ツアー観光客としても残念な思いは共有できます。

じいさん宣言

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認めたくはないものの、一つの区切り(元号ではない)が来て、どこをどう見ても「じいさん」に間違いないという状況に立ち至りました。かくなる上はと開き直って、これから死ぬまでじいさんをやっていく覚悟です。
自分自身が若い頃から「長幼の序」など意に介さずにきたバチが当たって、いまさら若いモンに「じいさんを敬え」などとは言えません。その上、よそのじいさんたちを観察していると、じいさん特有の悪癖というか悪弊というか、若い人たちに嫌われる要素が多々あることに気づきます。自分のことを棚に上げて言うのもナンですが。
朝の連続テレビ小説で草刈正雄演じるじいさんが「一番悪いのは他人が何とかしてくれると思って生きることじゃ。人は他人をアテにする者を助けたりはせん。逆に自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるのだ」なんて名ゼリフを吐くのは、あれはドラマだからであって、実際にそんないいことを言うじいさんは近頃お目にかかったことがありません。
先日亡くなった橋本治さんが30代初めに書いた文章に「ジイサンというのは、ひょっとしたら時代とは関係なく生きていられる自由な存在なのかもしらん」*というのがあります。これもまたじいさんの一面かもしれません。上司だの部下だのお客さんだの先生だの、もうなんにも関係ない。ようやく手に入れた自由、勝手気ままができる反面、誰も助けてはくれません。それ故に抑制が利かなくなってしまい、若いやつらばかりでなく、社会全体から疎まれ、置いてけぼりを食うということになってしまうようです。

*「よくない文章ドク本」所収「『現代青春小説』のガイドブックの無削除版」

カメラ好きは写真がうまくない?

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写真の愛好家やカメラマンにはよく知られている事実ですが、世には機械としてのカメラ自体が好きな人と、写真を撮ることが好きな人と、どちらでもない人の3種類の人たちが存在します。圧倒的に多いのが3番目であるのは言うまでもありません。観光地へ行って記念撮影する人たちや子どもの成長を記録する人たちも、3番目に入れてよいでしょう。
最近はスマホでランチの写真を撮ったり自撮りしたりしてSNSに投稿する人が増えています。このような人たちは、写真を撮ることが好きな人たちと分類してよさそうです。
実は先日、あるグループの写真展で自作を3点ばかり展示してもらいました。参加を申し込んだときは意識していなかったのですが、このグループはカメラ好き、いやカメラ蒐集マニアの集まりでした。ある参加者に「何台くらいお持ちなんですか?」と尋ねたら、「500台くらいですかね」と素っ気なく答えてくれました。さらに「最近は写真を撮るのが面倒になっちゃって、ほとんど撮らないんです。撮るときはスマホです」と続きました。
一般論ですが・・・と断っておきますが、カメラ好きは写真がうまくありません。写真を撮るのが好きな人のすべてが写真がうまいとも言えません。写真がうまい人は写真を撮るのが好きな人です。また、写真がうまい人はカメラ好きでもあります。
長年の観察から得た結論ですが、さて論理的に整合性がとれているのかどうか…。

してやられた上に期待はずれ

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ある朝、目覚めてすぐに枕元に置いているスマホを見ました。たまたまです。するとamazonがいまセールをやっているという記事が目に飛び込んできました。起床する時間まで少々間があったので、どれどれとamazonを覗いたのがいけませんでした。電子書籍リーダーのKindleも安くなっている。しかもセールの終了時間が迫っている。こりゃあ急いで買わなくては・・・。
というわけで、まだ十分に脳が覚せいしていないところでポチったのでありました。送られて来たのは一番安いモデルです。実は照明つきホワイトペーパーの上位モデルがほしかったのですが、あとで調べたらそちらは倍近いお値段でした。いくらセールでもそんなに安くなるはずない。まあ、安かったからいいか、と納得というか諦めというか、いずれにしてもまんまとamazonにしてやられたことに変りはありません。
Kindleを買う気になっていたのは、今期の直木賞を受賞した「宝島」を読みたかったからです。書店で見た単行本はものすごく厚くて重たい。私の読書は主に電車の中ですから、これを持ち歩くのはしんどいなあ。そこで電子書籍のファイルをダウンロードしたのですが、スマホではやはり読みにくい・・・と、amazonの手中に落ちた背景にはそんなことがありました。
そこまでして読んだ「宝島」なんですが、どうして評判がよいのかさっぱりわかりませんでした。たとえば人物描写がお粗末で、主人公である二人の男性の人物像が重なってしまって違いがわからない。ヤマトンチュー(本土の人)が戦後の沖縄の歴史を調べまくり、「いかにも沖縄」風の描写やエピソードや方言を総動員したみたいな小説と言ったらいいかな。文芸評論家ではないからただの感想ですが、私には期待はずれ。
さて、次はKindleで何を読もうかな。青空文庫から著作権の切れた作家の作品でもダウンロードしましょうかね。なにしろタダですから。

インターネットでは難しいかなあ

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Facebookに猫を探していますという投稿がありました。いずれも東京の郊外のお宅から失踪したようです。飼い主の必死の思いが伝わってきますね。見つかるとよいのですが、一般論として、猫探しにネットは効果が薄いのではないかと危惧します。猫の行動範囲はせいぜい数キロでしょう。となると、骨の折れる作業だとは思いますが、近所を回って電柱などにポスターを貼って行く方が効果的かもしれません。ネットの利用は手間なしではありますが、地域内での情報密度はかえって薄いと考えられます。
一般論としては広報も、地域が限定されればされるほどやりにくくなります。たとえば地域の中小病院の場合は、いわゆる広報活動よりも広告宣伝あるいは販促の手法の方が効果的だと思います。患者を集めたいという目的なら、医療圏の問題もあってなおさらです。
広報エージェントをやっていると、なんでも広報の手法で解決したくなりますが、広報には広報の得意な分野があり、得意でない部分は手を引いて、他の手法を考えるのが効率的であると自戒を込めて考えます。

メディアトレーニングは推理小説に似ている

ナイルに
自慢をします。アガサ・クリスティの推理小説「ナイルに死す」、まだ殺人事件が起こる前に筋立てが読めてしまいました。かなり確信が持てたので、その後は小説家がどのようにストーリーを展開させるのかに関心が移りましたが、それはそれで楽しく読み進むことができました。こういう推理小説の読み方もあるんだなあというのが新たな発見でもありました。
実は読みながら、なんとなくこれは何かに似ているなあと気になっていたのですが、なんだかわかりませんでした。読み終わって、仕事をしているうちにハタと気がつきました。これはメディアトレーニングに似ている。
とくに危機管理広報のシミュレーショントレーニングでは、架空の事案を創作して、それに関する模擬記者会見や模擬取材を行います。トレーニングを受ける経営者や幹部社員のみなさんにとって現実感のある架空の事案をつくりあげる作業が一つのポイントなのですが、それが推理作家の創作プロセスと似ているのではないか、と気づいたのです。
架空の事案であっても、実際にありそうな真に迫ったストーリーであることが必須条件です。それを考えるのは一苦労なのですが、一方でちょっと面白い仕事でもあります。こんなこと誰も考えられないだろうなあ、と一人悦に入ったりしながらやっています・・・と、最後も自慢で終わります。