2019/8/19 月曜日

実用文も文学も

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8月17日付の朝日新聞「天声人語」を読んで、初めて高校の国語で「文学」が選択科目になることを知りました。代わりに実用文として行政のガイドラインや駐車場の契約書が出てくるのだとか。
行政のガイドラインが実用文の模範例かどうか大いに疑問ですが、これまで日本の国語教育において実用文が不当なくらい軽んじられてきたことを考えると、これは悪いことではありません。企業にいた頃、主任や課長への昇進試験の「小論文」をたくさん読まされましたが、9割ほどは日本文を書く基礎がまるでできていませんでした。しっかりした文章が書けるような教育はとても重要です。欧米ではすべての課目のベースとしてwritingやécritureが重んじられていると聞きます。問題はそれを教えられる先生がいるのかどうか、ですが。
蛇足ながら、実用文の一典型はプレスリリースではないかと考えています。ぜひプレスリリースを書く練習をしてほしい。間違いなく有益です。
一方で、文学を選択科目にするという暴挙には絶対反対です。先日、某放送局の敏腕ディレクター氏が米国へ取材旅行に行くに当たり持参する5~6冊の本をSNSで公開しているのを見ました。その中に小説は一冊もありませんでした。「勉強熱心」なのは結構ですが、この方の10年後を思うと、かなり残念な気がしたのであります。

2019/5/15 水曜日

メディアの偏向

Filed under: 報道・ジャーナリズム,広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 15:15:22

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市民間で意見が割れるような問題について、新聞やテレビなどのメディアがどちらに組みして報道しているか。なぜこちら側に同情的なのか。以前と異なる報道が出て来たり、新しい事実が次々に明らかになってもなかなか論調を変えないのはなぜなのか。と思うと、口を拭って沈黙しつづけることもある。それはなぜなのか。
政治に関してはむしろ単純です。近頃は大手メディアの旗幟が鮮明になっていますから、ある新聞は大きく報道しある新聞は黙殺していても、はは~んと推測できる。こんな報道姿勢をとるだろうなあと読む前に予想がつくほどになっています。考えてみればつまらない話です。新聞が読まれなくなった要因の一つでしょう。
そんなとき、よい本が出版されました。小島正美著「メディア・バイアスの正体を明かす」(エネルギーフォーラム新書)
小島さんは昨年まで毎日新聞で編集委員を務めておられた医療や食品問題を専門とするジャーナリストです。ここには右や左の政治のことは書いてありません。子宮頸がんワクチンや遺伝子組換え食品などを例に、なぜ新聞がこのように書くのか、このように書かないのかを極めてクリアカットに説明しています。新聞社を退職されたので自由に書けたという面もあるのでしょうが、すべての新聞記者OBがこのように書けるわけでもありません。報道の内側にいて、「これはおかしいじゃないか」という問題意識を常々持ち続けておられたからこそ書けたのだと推測します。広報を仕事をしている人にも、目を開かせてくれる好著です。

2019/3/12 火曜日

インターネットでは難しいかなあ

Filed under: よもやま,広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 15:54:45

猫さがし45087099_1645856702186680_8134915384315740160_n
Facebookに猫を探していますという投稿がありました。いずれも東京の郊外のお宅から失踪したようです。飼い主の必死の思いが伝わってきますね。見つかるとよいのですが、一般論として、猫探しにネットは効果が薄いのではないかと危惧します。猫の行動範囲はせいぜい数キロでしょう。となると、骨の折れる作業だとは思いますが、近所を回って電柱などにポスターを貼って行く方が効果的かもしれません。ネットの利用は手間なしではありますが、地域内での情報密度はかえって薄いと考えられます。
一般論としては広報も、地域が限定されればされるほどやりにくくなります。たとえば地域の中小病院の場合は、いわゆる広報活動よりも広告宣伝あるいは販促の手法の方が効果的だと思います。患者を集めたいという目的なら、医療圏の問題もあってなおさらです。
広報エージェントをやっていると、なんでも広報の手法で解決したくなりますが、広報には広報の得意な分野があり、得意でない部分は手を引いて、他の手法を考えるのが効率的であると自戒を込めて考えます。

2019/3/7 木曜日

メディアトレーニングは推理小説に似ている

Filed under: 報道・ジャーナリズム,広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 17:12:27

ナイルに
自慢をします。アガサ・クリスティの推理小説「ナイルに死す」、まだ殺人事件が起こる前に筋立てが読めてしまいました。かなり確信が持てたので、その後は小説家がどのようにストーリーを展開させるのかに関心が移りましたが、それはそれで楽しく読み進むことができました。こういう推理小説の読み方もあるんだなあというのが新たな発見でもありました。
実は読みながら、なんとなくこれは何かに似ているなあと気になっていたのですが、なんだかわかりませんでした。読み終わって、仕事をしているうちにハタと気がつきました。これはメディアトレーニングに似ている。
とくに危機管理広報のシミュレーショントレーニングでは、架空の事案を創作して、それに関する模擬記者会見や模擬取材を行います。トレーニングを受ける経営者や幹部社員のみなさんにとって現実感のある架空の事案をつくりあげる作業が一つのポイントなのですが、それが推理作家の創作プロセスと似ているのではないか、と気づいたのです。
架空の事案であっても、実際にありそうな真に迫ったストーリーであることが必須条件です。それを考えるのは一苦労なのですが、一方でちょっと面白い仕事でもあります。こんなこと誰も考えられないだろうなあ、と一人悦に入ったりしながらやっています・・・と、最後も自慢で終わります。

2019/1/31 木曜日

自画自賛否両論

Filed under: よもやま,広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 16:33:09

自画自賛
このブログをほめてくれる人がいました。学生時代からの友人ですが、その人も編集・ライター稼業のプロなので、わかる人にはわかるんだなあ、とこちらはいい気分になりました。
と、これは本当の話ですが、「友人がほめた」というのは他人からの評価で、それを「ここに書いた」というのは自画自賛というものでしょう。
少し前にこんな経験をしました。あるイベントが大変よい成果を得たので、終了後に担当者をほめようとしたまさにそのとき、その担当者自身が言い放ちました。「私ががんばったらうまく行ったんです」 その瞬間、ほめ言葉が引っ込んでしまいました。ムムムムム。 ほめたいと思ったのに、ほめられなくなってしまいました。自画自賛以上にこちらがほめて上げればよいようなものですが、そんな気力も吹っ飛んでしまいました。お互いに、こんな不幸なことはありません。
長い会社勤めの間には、一生懸命仕事をしてそれなりの実績を上げたにもかかわらず、ちっともほめられない、という経験をずいぶんしてきました。実にくやしい。誰かに自慢したい。その気持が抑えられなかったこともしばしばですが、自分から口に出して逆効果になってしまったことが多かったかな。かと言って、評価されるまで何年も待つというのもねえ。「黙っていれば必ず誰かが見てくれているもんだよ」などというおためごかしの常套句ほど怪しいものはありませんが、ときたまその実例に遭遇するから話がややこしくなってしまいます。
自分の手柄でもないことをすべて自分の実績だと本社にレポートする外国人マネージャーもいました。そんなインチキレポートをそのまま信じる上司の目も節穴だと思いますが、それが見事に成功したと思われる実例もありましたから、このあたりがまた実に難しい。
企業人ではなくて、企業そのものの場合は黙っているばかりではいつまで経っても評価されません。評価されるまでの時間をコストと考えるべきだと思います。いいことをしたら、それをアナウンスするのは説明責任の一部と言えるでしょう。人事評価と広報活動とは分けて考えないといけませんね。

2018/5/28 月曜日

日大アメフト部問題から目が離せません

Filed under: 広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 14:42:13

政治の世界の方がより深刻ではあるのですが、広報の人間としては日大アメフト部の問題から目を離せません。広報の歴史に残る出来事がこんなにつぎつぎに起こるなんて、めったにないことですから。
本質的な問題については各メディアで論じられていますし、ツイッターなどでもいろいろな指摘がありますので、ここで書くまでもありません。
興味深いのは、関学と日大の広報のあり方です。記者会見で記者と議論してしまった司会の日大広報部顧問氏も、冷静な受け答えをしていた関学のディレクター氏もどちらも記者出身だと報じられています。
前にも書きましたが、企業(団体)の広報でメディア出身者が成功した例は少ないと思います。企業とメディアとの間には深くて、暗いかどうかは知りませんが、越えがたい川が存在します。企業内での広報の役割や活動は、メディア側にいては見えにくいのです。さらに、記者という職業に長く携わっていると、アタマを下げるのが苦手になるようです。権威にアタマを下げていては記者は務まりませんから。メディアで活躍し請われて企業の広報に入ったら、一から広報の基本を学ぶことなどプライドが許さないでしょう。その典型が日大顧問氏のように見えました。関学ディレクター氏は希有な存在なのかもしれません。

2018/5/22 火曜日

ウソをつくことは得なのか?

Filed under: よもやま,広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 15:29:12

世の中、ウソつきが多いのだなあと、このところつくづく思い知らされます。
広報の仕事をしていると、なんとかコトを大きくしないように計らったり、アドバイスしたりはしますが、「ウソはいけません」ということは一貫しているつもりです。ウソはいつかばれる日が来ます。それが明日だったり50年後だったりするだけのことです。
危機に際しては、自分の身や自分の利益を守ろうとすればするほど、身を滅ぼしたり大きなダメージを受けたりする確率が高くなることが経験則からわかっています。本気で身を捨てるつもりになることで身が守られる確率は決して少なくはありません。しかし、すべてを失う確率の方もまた少なくありません。どちらをとるか。
人間の尊厳とか名誉とか品格とか、そのような要素を加味しようとすれば、ウソはつかない、過去のウソは撤回して謝る、自分を守ろうとしない・・・という選択になります。今後の利益が守られるなら、そんな要素はどうでもよいと考えるならば、ウソを貫くのも一つの選択肢ではあります。ただし、それが成功する確率も100%ではないのが悩ましいところです。

と書いたところで、反則を犯した日大アメリカンフットボール部の選手の記者会見が始まりました。近頃まれに見る謝罪会見の成功例です。誰が見てもウソを言っているようには思えないでしょう。関西学院大学の監督も敬意を表するとコメントしました。彼の前途が開けますように、と願わずにいられません。

2018/4/3 火曜日

ドラマの裏側はわからない

Filed under: 広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 10:35:24

自分の会社が記者やジャーナリストから自分の会社がどのように見られているか、どこの企業も強い関心を持っています。そこで企業認知や自社の広報活動に関して記者の声を聞く場を設けたり、調査をかけたりすることがあります。これらは経験上とても有意義な調査になることが多く、自社の広報活動の成功している部分、足りない部分がクッキリと浮かび上がります。他社の広報活動について有益な情報やヒントが得られることもあります。
それはそれとして、このような調査を通じて気づくことがあります。記者やジャーナリストは“企業の広報を知らない”という事実です。
あそこの広報は頻繁にコンタクトしてくる、あそこの社長はフランクに取材に応じてくれる、この会社は役に立つメディアセミナーを開催している、といったことは現場の記者はよく知っています。彼らは広報の対象、もしくは受け手ですから当然です。
ところが彼らは、そこに至るまで、広報セクションがどのような目標のもとに、どのような企画を立て、どのような地道な作業を積み重ねているかについてはわかりようがありません。
テレビドラマにたとえるなら、ドラマを見ている私たちには、出演者の演技やストーリー展開の良し悪しについて感想を述べたり批評したりすることはできます。しかし、プロデューサーがどんな企画を考え、脚本家がどのような取材をし、どこにロケハンをして、ディレクターはどんな演技指導をしたのか等々の裏側は、テレビを見ているだけではわかりません。そんな楽屋落ちを覚らせることなく楽しめるドラマこそ理想でしょう。広報も同じことです。広報のテクニックや仕掛けなどを記者やジャーナリストに覚られてしまっては失敗です。
記者出身者を広報の責任者に据える企業や団体があります。しかし、大きな成果を挙げることが少ないのは、そんなところに要因があるのかもしれません。視聴者や評論家がドラマをつくろうったって、そう簡単には行きませんぜ。

2018/3/27 火曜日

記者会見とストロボ

Filed under: よもやま,広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 15:10:42

メディアトレーニングで、記者役の他にカメラマン役も用意して、パッパッパッとストロボを発光させることがあります(実際にやったのは数回ですが)。臨場感を演出して、本番の記者会見で緊張しないように慣れていただこうという意図です。
マリリン・モンローとかジョー・ディマジオとかジョン・F・ケネディ(3人の関係にこだわったわけではありません)などの「時の人」がフラッシュライトを浴びながら、突きつけられた大きなマイクに向かってコメントしているシーンなどが、昔のニュースフィルムに残っていたかと思います。記者会見と言えばフラッシュがつきものでした。
現在の記者会見でも、とくにニュースバリューの高い事案では、会見者の前にスチールカメラマンがずらりと腰を下ろして盛んにストロボを発光させています。
ところが知人のプロカメラマンによると、感度を高く設定できる最新型のデジタルカメラならストロボは必要ないのだそうです。
デジカルカメラはさらに進歩しつつあって、4Kで動画を撮影しておき、一番よいカットを静止画像として切り出すことが可能になっています。新聞やネットニュースで使う程度なら十分な画質だそうです。8Kならさらに解像度の高い写真が切り出せます。
1台のカメラでニュース動画もスチール写真も得られるということなら、スチールカメラマンたちの職が危うくなりそうです。だから必要がなくてもストロボを発光させて自らの存在をアピールしているんだ、というのは少々皮肉が過ぎる気もします。動画と静止画は画の特性が全く異なる、という説にも理解できるところがあります。
シャッター音もない静まりかえった会場で聞こえるのは、会見者の読み上げるコメントと質疑応答、それにキーボードを叩く音だけ・・・という記者会見は、ちょっと妙な気分のものでしょうね。

2018/2/19 月曜日

田園都市線のリカバリー広報

Filed under: 広報,広報ど真ん中 — Kimi @ 17:53:23

ココノッツのオフィスは半蔵門。ということで東京メトロ半蔵門線をよく利用しています。
この線は東急田園都市線と東武スカイツリーラインに接続しているので、東京メトロの車両に乗る機会は少なく、東急や東武の車両ばかり乗っています。その中で東急の車両はどうみても古めかしい。デビュー時にローレル賞を受賞したといっても、40年も使えば相当くたびれます。天井にはいまも扇風機が首を振っています。
田園都市線では昨年、停電やら架線切れやら車両故障やら人身事故が続き、運転見合わせや遅れが頻発しました。一軍である東横線に比べて、二軍の田園都市線への投資を怠っているのではないか、と邪推せざるを得ません。同じようなことをTwitterなどのSNSにも書かれまくられたので、東急さんも利用者の疑念には気づかぬはずはなく、最近、一大広報キャンペーンを始めた様子です。
先ごろは、夜中に報道各社を地下線路に呼んで、こんなに一生懸命保守点検をしていますと取材させたようです。複数のメディアに記事が掲載されました。リカバリー広報がひとまず成功したようです。サロンパスを貼りながら走っているような老体車両も近々新型に取り替えるそうです。これで故障による運転見合わせや遅れがなくなるかどうか。注目です。
東洋経済オンラインの記事:http://toyokeizai.net/articles/-/209065/

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