Wow and Zen

三連休を利用して、イギリスから来ている友人夫妻と直島に行ってきました。

数年前にテレビで「瀬戸内海に浮かぶアートの島」として紹介されていたのですが、番組の中でレポーターが外国人旅行客に『日本で行きたいところは何処ですか?』とインタビューすると、京都や秋葉原の他に全員が「ナオシマ」というのです。これはさすがに番組の編集に違いないとは思うのですが。これがまんざら嘘でもないようです。

日本人と違い、欧米の人たちは長期の休暇や旅行の計画を数年越しで立てます。私のイギリス人の友人夫妻も3年前から日本旅行の計画を立てていました。ちょうど2年前の今頃、テレビで見た海に浮かぶ黄色いカボチャの存在感と安藤忠雄設計の美術館の美しさに圧倒され、イギリス人の友人に一緒に行くことを提案すると、私のメールが届いた直後に地元の新聞に直島の特集が掲載されていたというのです。そのタイトルが「Wow and Zen」。粋なもじりです。

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 海外でこれだけ紹介されている直島ですが、国内では意外と知られていません。今回の旅行の為にホテルを予約しようと近くのJTBにいきましたが、スタッフはどなたも直島のこともベネッセハウスのことも知りませんでした。しかも岡山、倉敷辺りのパンフレットにも直島のことがでてきません。これはベネッセの戦略なのでしょうか。

私たちは4年前に建てられたというベネッセハウスのパーク棟に泊まりました。もちろん安藤忠雄の設計によるものですが、空間を活かしたデザインはさすがです。機能性にすぐれた客室は随所に見せる工夫、隠す工夫が凝らされていますし、客室、カフェテリア、レストランの何処にいても、景色の延長上に自分がいるように設計されています。 普通、素晴らしい景色も限られた方向に見たときだけであったり、綺麗な建物でも、ちょっと目を横にやると残念!と思うこともあるものですが、レストランに移動する渡り廊下であっても、光と陰を巧みにつかった非日常の空間が外に広がる瀬戸内海の景観にとけ込むように設計されているのです。

レストランの席にすわりガラス越しに外を眺めると、ベランダから海まで自分の席から繋がっていることに驚かされます。しかも、座った位置から眺めると、バルコニーの手すりはその先のバルコニーと海の境に細い線を引くように走っています。

美味しいワインをいただきながら、そこに存在する空気感にしばし酔いしれました。  

電報の存在価値

久しぶりに電報を打ちました。自分で打ったのは何年ぶりでしょうか。電電公社に電話をかけた記憶がありますから、70年代のことだったかもしれません。その後、勤め先では、近くにいるスタッフに「ちょっと祝電打っておいて」などととズボラを決め込んでいたのです。
さて、改めて自分で打つとなると、どうやって打ったらよいのか。インターネットで調べたら、NTTのサイトから直接打てることがわかりました。D-MAILというんだそうです。これって、なんか変です。ネットでつながっている先ならメールで十分じゃないのかなあ。なんでネットからわざわざ電報を打たなくちゃならないんだ?と頭の隅で自問しながら、D-MAILにアクセスしました。

私が打とうとしていたのは祝電です。今回も初めは手紙で祝意を伝えようと考えたのですが、これが実に難しい。心を込めた言葉を書こうとするとさらに難しい。とくに相手が親しい友人ではなく、目上の方だったり、半分義理だったりすると、これはもう紋切り型の祝辞しか頭に浮かびません。しかし、かつてはコピーライターを名乗っていた人間です。紋切り型で済ますのは少々名誉にかかわります。これはメールにおいても同様です。
ところが、電報では例文と言うものが用意されています。ネットが発達する以前からあったと思いますが、これがとても便利なのです。電報なら、この例文を利用して堂々と紋切り型を使っても世の中は許してくださるのです(と信じております)。また、電報では、心を込めれば込めるほど料金が高くなりますから、長文電報は相手に無用な恐縮をされてしまう恐れがある。それではかえって失礼です(ずいぶん身勝手な論理ではありますが)。しかも、電文は伝統的に省略の美を尊びます。「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」を理想としております。 べたべたした「心のこもった文章」を練り上げないで済むというのは、電報の最大の美点ではないでしょうか。故に名誉が傷つくこともありません。

さて、D-MAILのサイトで作業開始です。指示に従ってあれこれ選択をして行けばよいのですが、最初が台紙の選択でした。画面に現れたのは全部花をあしらった豪華なもの。どれがよいやら判断がつかず、とりあえず一番初め置かれている「パールアイボリーの額の中に赤やピンクのバラとアジサイ等を敷き詰めたプリザーブドフラワー(一部造花)です。置いて飾る他、壁掛けとしてもご利用頂けます。」という台紙をクリック。それから電文の入力へと進みました。
そのとき、何か心をよぎる不穏なものを感じました。こういうときは早まっては行けません。思い直して台紙選択の画面に戻りました。そして気がつきました。一番最初に掲げられているのは一番高い台紙であることに。なんと20,000円です。アブないアブない。
よく見れば一番最後に目立たないように0円の普通の台紙も掲載されていたのですが、そのときは気がつかず、3,000円の多少しゃれた台紙に変更して事なきを得ました。
以前、電報の廃止が議論されたことがありました。どういう理由で生き残ったのか忘れてしまいましたが、電報には上記の「紋切り型が通用する」という美点のほかに、受け取った方に「わざわざ電報を」というワザワザ感を喚起させるという美点もあります。義理の世界では電報はいまだに存在価値があることを再認識いたしました。サイトから電報を打つというおかしな行為にも一定の意味があるんですね。
しかし、NTTの策略にひっかかって20,000円の台紙で発信してしまった人も多いんじゃないかなあ。

さも

麻生首相の漢字を読む能力が話題になっています。「未曾有」を「みぞうゆう」、「頻繁」を「はんざつ」、「有無」を「ゆうむ」、「完遂」を「かんつい」等々。
これほど実例が出てくると教養を疑われても反論しにくいでしょうが、誰でも間違って覚えている言葉の一つや二つはあるものです。
私の場合です。
「最も」を「もっとも」と読まずに「さも」と読んでおりました。最も早い」は「さもはやい」、「最も小さい」は「さもちいさい」です。「最」という漢字の音が「サイ」であることに影響されたのかもしれません。それで通っていたのだから不思議です。おっと、これは高校1年までの話で、いまはちゃんと修正されておりますのでご安心ください。
間違いに気づいたきっかけは英語の授業でした。最大級の単語が使われているセンテンスの和訳を命ぜられて「さも」と訳してしまいした。「『さも』とはなんですか?」と怪訝な顔で質問した英語教師のメガネ越しの目をいまも覚えています。しかし私は「さも」と読むものだと信じ込んでいましたから、その指摘をとっさに理解することが出来ませんでした。
社会人になっても誤読していたのが「施錠」です。すいません、「せんじょう」と読んでおりました。これは「施」と「旋」の読み違いです。これも誤解のないように申し上げておけば、すでに完治いたしております。が、間違いに気ついたのは40歳を過ぎてからでした。
首相の読み違いに同情はいたしませんが、さりとて青筋立てて批判する気持にもなれないのは、きっとこのような私の過去によるものでしょう。

認識における環境の影響について

先日、都内某所にてトイレに駆け込みました。ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのが奥の棚に積まれた予備のトイレットペーパーです。筆文字で大きく一字「褌」。

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さて用を足し、落ち着いてよくよく見れば、これは「褌」ではなく「輝」ではありませんか。
トイレだから「褌」と思ったのは大勘違い。人間って、やはり環境に支配されるものなんですねえ。
しかし、なんでトイレットペーパーが「輝」なんだろう。負け惜しみとともに釈然としない思いで、トイレを後にした私でありました。

接近遭遇

世の中には自分とそっくりな人が三人いるといわれます。

私がその一人に初めて遭遇したのはまだ学生時代、テニスの夏合宿のことでした。

中軽井沢にある大きな民宿は大勢の学生でにぎわっています。合宿も終わりに近いある日の夕食後のこと。電話をするという友人に付き合って、私は廊下の公衆電話の横に座っていました。すると、見知らぬ男子学生が通りがかりに、「なんでこんなところに座ってるんだよ。いかないのか?」と話しかけてきました。

「・・・??」

周りを見回しても背中を向けて電話をしている友人しかおらず、どうも私に話しかけているらしいのです。なんて答えてよいか分からず座ったままでいると、「早く来いよ」と言って、行ってしまいました。

すると今度は二人連れの学生が通りかかり、「あれ、おい、なにやってんだよ~。早く行こうぜ。花火はじまるぞ~。」と私の腕をぐいぐい引っ張ります。

(えっ、えっえ~・・・!ち、ちがう)と思っても、あまりのでき事に声もでません。やっとのことで腕を振り解くと、「な、なんだよ~。早く来いよ~。さき行ってるぞ~。」とちょっと不満げな顔をしながら立ち去りました。

この間、三人が至近距離にも関わらず、完璧に私を彼らの友人と間違えていたということです。

残念ながら、その合宿中、そこに居たはずの”私と瓜二つの誰か”とはついに出会うことはありませんでした。

それから二年後、ジャージ姿で自宅近くの駅前を自転車で通りかかったときのことです。前方から小学5~6年生の生徒6,7人が歩いてきます。その中の一人が突然「あ、〇〇先生だ!」というと、他の子供たちも「あ、本当だ。〇〇せんせ~」「〇〇せんせ~」と口々に叫びながらこちらに走ってきました。 私は急いで眼だけを動かして辺りの様子をうかがいましたが、やはり”先生”らしき人は見当たりません。

(えっ!うそ~。もしかして~?!)

笑って応えようか、知らぬ振りをして通り過ぎるか、、、と一瞬迷い、なんとなく中途半端に微笑みながら、あっけにとられている子供たちの間をすり抜けていきました。

「え!〇〇先生じゃないの?」「良く似てたね~」「本当だね~」と驚く子供たちの声を背に聞くことになったことは言うまでもありません。

これで二人目!

さらにその二年後、ランチタイムをとうに過ぎて閑散とした丸の内のオフィスビルの地下街を私は歩いていました。すると、女性が「あ、〇〇ちゃ~ん」と懐かしそうに手を振りながら小走りに近づいてきます。

三度目ともなると、(そら来た!)と勘が働くというものです。もちろん、その女性も私が通り過ぎるまで人違いに気付きませんでした。

その後、ぱったりと人違いされることはなくなりましたので、やはり世の中には自分に似たひとが三人いるというのは本当なのかもしれません。

でも、もしかして、、、もし、私にそっくりな誰かが私と同じ人生の軌跡をたどっていたとしたらどうでしょう?

三度目の出会いのあと、その彼女は遠くに嫁ぎ、私の人生との接点がなくなったのかも知れないのです。

あり得なくはない、とは思いませんか?

今朝の都営地下鉄新宿線にて

何気なく額面広告を眺めていたら、「ヤミ金融に手を出してはいけない」というご注意の広告が目に入りました。

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他人事ではなくご注意が身に沁みました(借りてませんよ、借りてません!)が、「『おかしいな』と思ったら相談してください」というその担当窓口を見てびっくり。「東京都産業労働局金融部貸金業対策課」。イチニイサンシイと数えたら17文字ありました。 そういう名前の部署なんだから、仕方がないと言えば仕方がないのでしょうけど、なんとかならないものですかね。

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そうなると、「厚生労働省職業安定局○○労働局公共職業安定所」の22文字を「ハローワーク」にしたのは、なかなかの英断に思えてきます。あそこも名前だけで、中味は極めてお役所的なところではありますが・・・。
世の中不景気なもので、話題がついついこのような方向に向かってしまいます。がんばらなくっちゃ。

昭和10年生まれということ

昨日、筑紫哲也さんの訃報に接しました。日経はお座なりだったけれど、他紙の朝刊には、その死を悼む記事が大きく掲載されています。

リベラルという一言で片付けてしまってはいけないのでしょうが、いまの日本の風潮の中で珍しくレフトの守りについていた人、それでいながら大きな影響力を維持していたジャーナリストだったと思います。
筑紫さんは昭和10年生まれ。ということは終戦時には10歳です。小学校(当時は国民学校)で小国民として忠君愛国の教育を受けていたのに、敗戦によって平和国家日本と180度価値観が変わった体験をしている世代です。それまで使ってきた教科書に墨を塗るという経験もしたでしょう。
いま、その世代の人たちの中に、戦前の価値観を声高に懐かしんだり評価する人たちが少なくありません。
本土で育った昭和10年生まれの人たちの中には、空襲から逃げ回ったりご家族を亡くされたりした方もおられると思いますが、本当の戦争、つまり戦地へ赴いたり戦闘を体験したりするには年が足りませんでした。銃後で美化された軍国教育を受けていたはずです。教科書に墨を塗らされたとしても、それまでに醸成されてきた価値観を否定するだけの理性を持つにも少し幼過ぎました。それがいまになって、戦前の価値観への素朴な美化につながっているような気がしてなりません。
昭和10年生まれには現在の日本経団連会長や前日銀総裁など、財界や経済界でいまだに活躍されておられる方々が多数おられます。そして、筑紫哲也さんもその世代の一人だったことに、ある種の感慨を覚えます。
孤高のレフト、という表現が筑紫さんにはふさわしい。それは少々さびしくもあり恐ろしくもあるのですが。

アメリカの虹は6色?

友人から『虹の色は七色ではない? 日本では七色だけど、世界では色数少ないと聞きました。教えてください!』とのメールが届きました。

虹は幼稚園の時から7色に描くと習ってきましたし、、、おそらく、日本人100人に尋ねても、まず『虹は七色』という答えが返ってくるに違いありません。

これは世界の常識!と思ってましたが、『日本の常識は世界の非常識!』なのでしょうか。

さっそく、我が家にホームステイしているイギリス人をつかまえて聞いてみますと、「イギリスでは、red, orange, yellow, green, blue, indigo, purpleの7色だよ」、と指を折りつつ自信たっぷりに答えてくれました。 我々日本人と同じ認識の7色であったことに、ちょっと安心。

ところが、アメリカ人の友人に聞いてみると、こんな答えが・・・

「虹の色が何色(なんしょく)かなんて考えたことなかった。多分アメリカでは決まってないと思う。色のグラデーションの中から、自分で好きな数だけ選べばいいんじゃない?」

やはり、国による違いはあるらしいのです。

調べてみると、どうやら「虹は7色」にこだわっているのは、イギリスと日本ほか、数カ国だけかもしれないのです。

実は虹を7色としたのは、かのアイザック・ニュートンでした。17世紀のことです。プリズムによって分散したひかりのうち、特に目立った色だけあげて、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色をスペクトルと名付けました。これらはアメリカの友人が言うように無数の異なった色の連続なのですが、ニュートンは音階のドレミファソラシに合わせて7つにしたとか。

アメリカではスペクトルの7色から藍色を抜いた6色が一般的に認識されている虹色で、Macの虹色のリンゴマークが代表的とのことです。気がつきませんでしたが、Macのリンゴの虹色を数えてみると本当に6色でした。なるほど〜。

他の国ではどうかというと、ロシアでは橙、黄、緑、青の4色から7色まで人それぞれ変ってくるらしく、アフリカなどでは3色とか2色のところもあるんだそうです。

でも、日本も昔は5色だったって知ってました?

中国では万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からできているという五行思想に基づいており、虹も当然のごとく5色でした。それに習って日本でもその昔、虹は5色だったのです。

明治時代に入り、海外の学校教育を見習うようになると、虹の色は7色と教えるようになりました。明治8年に出版された「小学色図解」の中で、富士越金之助という人が「太陽の色は七色」と書いたのが最初のようです。

いずれにしても、「七色の虹」は世界共通認識ではなかった、ということなのですね。

ABC現象

私の年齢に平行するように、友人たちも歳を取って行きます(当たり前だけど)。
その過程で、何人かの友人が同じような変化を見せ始めました。頭の上の毛のことでもお肌のシワのことでもありません。
その一人、Aさんの場合。
居酒屋に仲間たちが集合すると、まだ中ジョッキが来ないうちからAさんは自分の近況を話し始めます。先週の土曜日には××(中味を書くと誰なのかバレてしまうので伏せ字とします)があって、××をした。火曜日には××へ出張して、××へ行って、××を見て面白かったなあ。それから××さんと会ったら××だって・・・これが止まらない。2杯目の中ジョッキからお酒に切り替わってもまだ止まりません。オッと10時か、明日が早いから今日はこれで。5,000円置いて行けば間に合うかなあ。お釣りはいりません。じゃ、失礼。と、そそくさと帰ってしまいます。
嵐が過ぎ去り、Aさんを前にしゃべる機会が得られなかった友人たちは、改めてお互いの近況を語り合うことになりますが、すぐに終電が心配になって、お互い物足りない思いを抱きつつ解散することになります。
Aさんも、昔はこうではありませんでした。どちらかと言えば控えめで、他人の話もよく聞く人でした。会社での地位も上がり、管理的な立場になったことが多少は作用しているのかもしれませんが、一種の老化現象とも考えられます。残り少ない人生の時間を有効に使って自分の存在をアピールしなくては、という本能が働いているようにも思えます。
こういう変化を見せる人がAさんばかりでなく、Bさん、Cさんと存在するから怖い。対照的に私は聞き役に回ることが多くなっていますが、ときには私も無自覚にABC現象を示しているかもしれません。実はこの方がもっと怖い。老けるほど頭を垂れる稲穂かな。