トップの椅子

この季節、連日新聞にトップの交代が報じられています。企業にとって、トップ交代は最大のイベント。広報も発表準備に神経を使い、発表後はトップインタビューが続いて気が抜けません。そんな経験を思い出すだけで、その頃の疲労感が甦ってきます。
さて、そのトップになった人たち。なり立てはいたって殊勝なものです。いくら威厳を取り繕おうとしても、「どうぞよろしくお引き立てを願います」といったところがチラチラ見えます。それが2年たち4年たち、もう1期やろうかという頃になると、そこはかとなくカリスマ性を備えてきます。周囲は腫れ物にも触るように、トップに接するようになります。

その象徴は椅子に表れる、ということに最近気がつきました。執務室の立派な革張りチェアのことではありません。会議室や応接室の席のことです。役員会などでは、出席者は会議机の長辺に並んで座り、チェアマンは短辺に席を占めることが多いようです。そのうち、その短辺の席はトップ本人以外は座らなくなります。トップの加わらない打ち合わせでも、その席だけは空席で残されます。畏れ多い、といった気持でしょうか、そこに座ると叱られるとでも思うのでしょうか。応接室も同様です。たいていトップの座る椅子は決まっています。その席には副社長も座らなくなります。
そうなったときにワンマン化が始まり、やがて独裁経営となり、ついには老害経営となります。
このようなことは外資系の企業ではほとんど見られません。つい先ほどまで社長が座っていた椅子に平社員が平気で座っています。日本人と欧米人との考え方の違いと言ってしまえばそれまでですが、このような企業文化の違いは、企業経営のいろいろな面に表れてくるようです。どんなところに表れるか・・・たくさんあって、今日はとても書く気になれません。いずれまた。

写真は自宅近所の桜です。このところの寒さでまだ一分咲き。〈kimi〉

欺されました

新聞の書評を参考にして本を買うようになったのは、40歳を過ぎた頃からでしょうか。
学生時代は、大学近くの古本屋街で、毎日のように棚を眺めながら帰りました。自分が関心を持っている領域なら、どの店のどこの棚にどんな本があって、それがいつ売れたかまで、だいたい頭に入っていたものです。一冊読めば、次に読みたい本や読むべき本の見当がおおよそつきます。そうやってチェーンのように読み続けました。チェーンスモーカーならぬチェーンリーダーです。
ところがだんだん毎日の帰りが遅くなってきて、たまに書店に立ち寄ってもじっくり棚を眺める体力と気力と時間がなくなってきました。読みたい本はいろいろあっても、どこから手をつけたらいいのかわからなくなりました。そこで、それまで半分バカにしていた新聞の書評に頼ることになったのです。

近頃の新聞には、毎週掲載される権威がましい書評欄のほかに、気軽に読める本を紹介するメージが設けられています。これから述べることは批判というか悪口なので新聞名は伏せますが、何週間か前のある新聞のそのようなページに、ある時代小説が紹介されていたのです。書名まで伏せてしまったら、何のことやらさっぱりわからないでしょうが、お許しください。広報を仕事をしている以上、新聞社にはイイ顔をしておかなくてはなりません。
で、そのページの評者である文芸評論家によりますと、「これまで推薦文を書いた本の書評は控えることにしていたが、はじめてその禁を破る。それほどにこの一巻は素晴らしい」ということです。これ以上の絶賛はありません。数日後にAmazonに発注しようとしたら、なんと品切れです。売れているようです。これなら書評は本物だと思って、ますます読みたくなりました。数週間後にもまだ品切れ。そこで都心の大書店までわざわざ出向いて増刷版を入手しました。

読んでがっかり。プロットの流れに無理があって、半ばあたりではストーリー展開に汲々としているのがミエミエです。登場人物の描き方も平板で、人物像が浮かび上がって来ません。帯に「愛する藤沢周平に捧げた渾身の一巻」とありましたが、天国の藤沢さんもさぞかし迷惑されておられることでしょう。信用できませんな、この文芸評論家。
これまで書評を参考にして失敗したことはあまりなかったのです。書評を読めば、私が関心を持って読める本か、どの程度のレベルの本かなど、おおよそ見当がつくものです。しかし今度ばかりは失敗でした。手放しの絶賛ほど胡散臭いものはないと気づくべきでした。広報の仕事を長くやっているのですから、そのくらいのことはわきまえていなければなりません。欺される私が悪い。しかし、いまいましいなあ、本当に。〈kimi〉

奇跡のリンゴ

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知人より「奇跡のリンゴ」を二ついただきました。抽選でやっとの思いで手に入れたリンゴなのだそうです。

皮の色は少し黒ずんだ感じで、お店でみるような鮮やかさはありませんが、見た目には普通のりんごです。とにかく食べてみればわかるとのことで、早速皮ごと食べてみましたが、これがとっても不思議な味がするのです。

 

なんというか、すごく甘いわけでなく、すっぱいわけでもなく、かといって味がないのではありません。とにかく、これ、りんごなの?と思うような、これまで食べたリンゴとはまったく違う味がします。ワインがそのワイナリーの土壌によってチーズやマッシュルームやチョコレートの香りを放つのと同じように、このリンゴは土のよい香りがするのです。

これはプロフェッショナル仕事の流儀でも紹介された、無農薬、無肥料で育てた木村秋則さんのリンゴでした。農薬をたくさん使わなければ害虫や病害で木が枯れてしまうのが当たり前のリンゴを、年の気の遠くなるような試行錯誤の末、無農薬、無肥料で育てることに成功した奇跡のリンゴなのです。

このリンゴとともに、『「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 奇跡のリンゴ』という本も貸していただきました。このリンゴ、絶対にこの本を読んでから食べるべきでした。だって食いしん坊のわれわれは、もうその奇跡のりんごを食べてしまって、お見せする写真もないのですから。

木村さんの農法は早く言えば虫も雑草も含めて自然の生態系を保つというものです。何か一種類の害虫(と人間が言っている)を農薬によって駆除すると他の害虫が増える。そうすると自然の生態系が狂ってくるから、仕方なく違う農薬を使うことになる。そうして、次々に農薬をたくさん使うことになってしまうわけです。また、肥料も与えずに育てると根がぐんぐん張っていって、必要な栄養素を自分で取りに行くようになるのですね。

それにしても、自然って不思議です。私は時々山小屋にいくのですが、毎年発生する虫が違います。ある年はおかまコオロギだったり、ある年はゲジゲジの大軍だったり、カメムシの時もありますし、ミツバチの時もありました。シロアリにはまいりましたが、それも、毎年続くわけではなく、翌年には違う虫になっているので私たちがお邪魔するときだけ、せっせと追い出しますが、特に農薬をばらまいたりはしません。どうせ、翌年には自然に数少なくなって、別の虫の天下になるのですから。 木村さんの農場でも同じような現象がみられるのだそうです。

この奇跡のリンゴ、切っておいても変色せず、そのまま置いておくと腐らずに香りよく小さく縮んでいくのだそうですよ。とてももったいなくて、そんな実験はできませんでしたが、そんな姿のりんごみてみたいものです。

ゴロゴロ考

日頃持ち歩いているビジネスバッグは、PCを持ち運ぶことを前提にクッションが入っていたり、小物を上手に収められるポケットがついていたりします。ところが、いざPCを持って行く必要が生じると、ついキャスター付きのバッグを持ち出してしまいます。
PC仕様のビジネスバッグは空でもそれなりの重量があります。その上にPCと小物の重量約2kgが加わると、私にはとても重く感じられるんです。

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キャスターつきのバッグは、ゴロゴロころがしている分には実に楽ちんです。ところが階段ではハンドルを畳んで手に持たざるを得ません。都心には意外に階段が多いんですね。そのたびに車輪とハンドルでより重いバッグを手に持つことになってしまいます。ベビーカーなら親切な人が助けてくれる可能性がありますが、キャスターつきバッグには助っ人は現れません。また、ゴロゴロやっているときも、後を歩いている人にぶつけないように常に注意しなければいけませんし、自動改札を通るときもひっかけないように操作しなければなりません。これが意外に疲れるんです。さあ、どっちが得かよ~く考えてみよう、です。

電車で東京駅に近づくと、だんだんキャスターつきのスーツケースを持つ人が増えてきます。成田空港行きの特急に乗ったら、ほぼ全員がキャスターつきです。海外旅行に必要なあれこれを詰め込んだ重いボストンバッグを手で持つというのは、いまや“あり得ないこと”になってしまったようです。
海外旅行なら迷わずキャスターつき。国内旅行でもメリットは多い。しかし、都心の移動なら、重さと総移動距離のバランスで選択するのが賢い人なんでしょう。
そうは言っても、ゴロゴロの魅力は捨てがたいものがあります。坂の多い町でも自転車に乗る人が少なくないのと同じことなのかもしれませんね。〈kimi〉