手帖と同窓生

20140525 暮らしの手帖広告

広報を業としている者が、メディアに関して批評がましいコメントをするのはおこがましいと言うか、控えるのが慣わしのようなものですが...。

暮しの手帖誌の広告の
「これはあなたの手帖です。この中のどれか一つか二つは、すぐに今日のあなたの暮らしに役立つでしょう」
というコピーが少々気になりました。
一言申し上げておきますと、最近は手に取る機会が少なくなったものの、子どもの頃からの大の暮しの手帖ファンです。いまはなき商品テストをはじめ、料理の記事や黒田恭一さんのレコード・CD紹介なども熱心に読んでいました。長じては、企業の広報担当者として、商品テストに対する異議を伝えるために何度か編集部へ足を運んだこともありましたが、決して嫌いにはなりませんでした。
さて、件のコピーです。「これはあなたの手帖です」と言いきる自信、素晴らしいですね。創刊以来の実績が言わしめるのでしょう。ではありますが、どことなく上から見下ろしているようなニュアンス、いわゆる上から目線が感じられないでしょうか。
戦後の日本社会で同誌が果たしてきた役割や位置づけは、何も知らない市井の人たちに教えてあげる、というものだったと思うのですが、現代日本の社会意識とは少し異なってしまったような気がします。

もう一つ、違和感を感じる雑誌記事があります。文藝春秋の名物企画である「同窓生交歓」です。功成り遂げた数人のクラスメートの記念写真とともに、その一人の短文を掲載するというもの。掲載された方の喜びはいかばかりかと拝察いたしますが、この取材に呼ばれなかった社長にも教授にも作家にも局長にも理事長にもなれなかったクラスメートのみなさんはどう感じておられるのか。このページを見るたびに、そちらの方が気になって仕方ありません。〈kimi〉

なかなか

人によって、無意識に頻用してしまう独得の言い回しや単語があるものです。無意識だけに、よくよく注意して推敲して摘み取らないと、なんともしまらない文章になってしまいます。
筆者の場合、そのような例の一つに「なかなか」があります。
このブログでも、調べてみると、
「それがなかなか難しいのです」
「健常人にはなかなか理解できません」
「これはなかなか便利な機能である」
「なかなかそうは行きません」
などと頻発させています。まことにお恥しい限りです。
この「なかなか」の効用は、ちょっと口語っぽくくだけた雰囲気が出せるところにあります。公文書などにはあまり使われない言葉でしょう。また、話の焦点をぼかすソフトフォーカスレンズのような効果がありますが、それだけに、使いすぎると文章がぼやけてきます。
筆者が「なかなか」を使うようになったのは、以前仕事でご一緒したある方の影響です。
その方は、しばしば次のような使い方をしました。
「○○部長ってさあ、ああ見えてもなかなかなんだよねえ」
「彼もさあ、なかなかだから、気をつけなくちゃいけないんだよ」
何を言いたいのか明確ではないのですが、なんとなく言いたいことはわかるような気がするから、不思議な修辞法です。
一般には「なかなかよい」という含意で使われることが多いのでしょうが、この方の場合は「隅に置けない」とか「裏がある」とか「自分の主張を曲げない」とか、多少ネガティブな意味を込めているようです。しかし、明快に表現してしまうと、いつかその人物評がご本人の耳に伝わって、自分に災いが降りかかるかもしれません。「なかなか」と言っておけば、なんとでも言い逃れができます。
これは独裁国家とか全体主義国家においては極めて有用な語法となるでしょう。
「あそこの基地を見る機会があったんだけどさ、なかなかでしたよ」
などと言っている限りは秘密保護法に抵触する恐れはありません。いまから「なかなか」の使い方に習熟しておいて損はないのかもしれません。〈kimi〉