2018年6月4日

(258)公文書改ざん、ご自由にどうぞ

 予想外とまでは言えないものの、ひょっとしたらと思っていたように、大阪地検は5月31日、森友学園がらみの公文書改ざんの関係者を不起訴にすると発表しました。国会で何十回ものウソ答弁をした財務省の佐川宣寿・元局長ら38人もです。ウソ答弁に合わせて大量の文書の都合の悪いところを削ったり、書き換えたりしたことがあれだけはっきりしているのに罪に問えないとの判断です。多くの国民が納得しないのは当然です。
 どう考えても佐川元局長らの行為は刑法156条の偽造公文書作成罪に当たると思われます。それなのに地検は文書の根幹部分は残されているとか、保存義務のない文書であったなどと説明しています。これも官僚同士のそんたくが見え見えです。根幹部分の解釈次第で公文書はいくらでも書き換えることができるというわけです。
 以前に何度か書いたように、日本は文明国とは思えないえん罪大国です。原因の1つは検察・警察のいい加減さです。警察は事件を立件する捜査権を、検察官は罰するために起訴するかどうかの権力を持っています。明らかな犯罪を警察が見逃す、警察が捜査しても検察が見逃すことができます。気に入らない相手だと、証拠不十分でも逮捕、起訴に踏み切ります。検察官と同じ司法試験仲間の裁判官があいまいな証拠で判決しやすい雰囲気があります。えん罪では2003年の鹿児島の選挙違反の志布志事件など、不起訴は1995年の日本共産党幹部宅電話盗聴事件の神奈川県警や2016年の甘利明・元大臣の収賄事件などが思い浮かびます。
 佐川元局長は国会で「刑事訴追の恐れがある」と回答を拒否しました。検察では正直に話したのでしょうか。いや、「刑事訴追の恐れがあり国会でさえ答えなかったので」と黙秘したので検察は困ったのが真相かもしれません。
 法の運用がこんなにいい加減でいいのでしょうか。閣僚や官僚がうそのつき放題でいいのでしょうか。公文書は政府に都合よく書き換えてください、でいいのでしょうか。
 納得いかない不起訴処分には検察審査会へ訴える道がありますが、現実の制度は子どもだましの言い訳のようなもの。本当にがっかりです。