2018年8月16日

(268)被爆者や戦争孤児の悲しみ

 8月といえば6日の広島と9日の長崎の原爆記念日、15日の終戦記念日と、嫌でも戦争を思い出すニュースが続きます。戦後といわれて73年。日本は何とか戦争に巻き込まれずに過ごしてきたものの、世界のあちこちでは戦争が起き、テロが起き、毎日のように市民や子どもたちが犠牲になっています。
 原爆に遭遇した広島や長崎の人たちの報告や訴えが流れています。毎年毎年、似たような描写や訴えを何十回も聞いているはずですが、それでも胸が詰まります。原爆を作った米国の街で被爆者が講演したところ、そんな話を初めて聞いた市民が涙ぐんだとのテレビ番組がありました。武器工場の労働者は多分、自分たちが作っているものは文房具や家電製品と同じようなものと思っているのでしょう。労働者も家族もそれが招く結果など考えたことがないのかも知れません。
 国連の核兵器禁止条約に日本が参加しないことに被爆者が怒るのは当然です。安倍首相は「核保有国と非保有国の橋渡しをするのが日本の役割」と説明しましたが、核保有国の言いなりで核廃絶ができるはずがありません。日本の政治家も自分や家族が犠牲になるなどとは考えたこともないだけに、核兵器などどうでもいいのでしょう。
 戦争孤児を扱ったNHK特集もありました。空襲で両親を失い、駅や路上で暮らすようになった子どもたちは汚い格好で、生きるため食べ物を盗みます。戦争の一番の犠牲者なのに、社会が落ちついてくると、大人はそうした子どもたちを毛嫌いし、差別します。社会への反発が子どもたちをさまざまな犯罪に走らせ、れっきとした犯罪者に育てます。戦争で夫や父を失った貧困家庭も同様の危険があります。乳幼児期に空襲に遭い、母子家庭育ちだった私も紙一重でした。
 テレビではだれもが「2度と戦争は起こしてはならない」と語ります。しかし、政治家や財界人、企業人はあまり信用できません。戦争をしない日本の軍事費が世界9位 (2017年) 。新兵器をアメリカから買い付けるため、予算は毎年増えています。直接、間接の利益を受けている人たちが少なくないからです。